mizusumashi-tei みずすまし亭通信

JUJU : Hello, Again~昔からある場所  Music Video

 

YouTubeから唐突に『JUJU : Hello, Again~昔からある場所』のMusic Video が流れてきて、よくみると10年ちょっと前の橋本愛さんです。ちょうど、湊かなえ原作の映画『告白(2010)』に出演したころの映像で「そーかぁ」って、それだけなんですが、なんだかため息がでます。

 

 

 

大山桜? 夕方← →朝

 

ソメイヨシノがすっかり散りはてた後に、八重桜と同じころに咲き馴染める桜がある。建物にへばりつくようでかわいそうだが、樹形の美しい姿が目をひく。大山桜?かなと思うのだが、桜は品種が多くわからない。交差点の角に位置していて大きくなりすぎると伐られるじゃないかと心配している。

 

真っ白な桜

 

10日ほども前に満開を迎えた真っ白な桜で、大島桜かエドヒガン系なのか? わかりませぬ。名前がわからないというのは、なんとなく「所有した感」がないというか、つまらないものです。桜の品種は300種ほどもあるそうなので、どうせ覚えきれないでしょうが。早々に桜の時間が通り過ぎていきます。

 

枝垂れ桜

 

ソメイヨシノ

誉田哲也〈ジウ〉サーガ・シリーズ

 

誉田哲也の〈ジウ〉サーガ・シリーズは10巻目『ジウX(2023)中央公論新社』は図書館本を借りる。貸出の予約を入れた時点で待機順番が百数十番目という案内にびっくりした。途中までは一応新刊書を買って読んでいたのだが、近年本が溜まるのが苦になってきて。若い人は買って読んでね。

 

歌舞伎町の(警察が手に負えない)闇の犯罪を「必殺仕事人」たる7人のグループ「歌舞伎町セブン」が仕置きする… 内容なのだが『国境事変(2007)』あたりから、日本の国家安全保障問題を扱うようになってきて、政治経済界を巻き込む謎の結社「世界新秩序」とゼブンとの暗闘が徐々に煮詰まりつつある。

 

誉田哲也:ジウX(2023)中央公論新社

 

イラストは以前、黒木メイサと多部未華子主演でドラマ化された折のもので、原作は真正面にヴァイオレンスを打ちだしたことからスプラッターなシーンが過激で、その世界観を映像化するのは難しい。書き込みもリアルなので心臓の弱い人には進められないが、近作はややオブラートに包まれてきた感はある。

 

ドラマで黒木メイサが演じた伊崎基子(ミサキ)は「歌舞伎町セブン」の一員として、ほとんど殺人マシーンと化し黒木メイサをして情感がありすぎる状況にある。そこで「虚無的無表情にして格闘技が似合う女優さんは誰?」と以前書いた。仕上りのいいエンタメ本なので、ぜひヴァイオレンスの極北をみせて欲しい。

橋本治:双調平家物語 文庫本自製カバー

 

橋本治『双調平家物語』文庫本全16冊の内、終盤13-16巻のリサイクル本を図書館からいただいてきた。当然ながら表紙はラミネートされ、管理シールに加えリサイクルシールまで貼られ、にぎやかなので自製カバーを制作。表紙絵に月岡芳年『月百姿/月の四の緒 蝉丸(1891)』を使った。

 

解説を加えた懇切丁寧な『窯変源氏物語』に比べると、こちらの『双調平家物語』は淡々と物語していて、平重盛の死なども清明な語りが印象的だ。

 

 

 

岸田劉生:美の本體(1941)河出書房

 

和紙に木版装の岸田劉生『美の本體』は一年ほど前に前橋市の古本屋さんで購ったもの。表紙や用紙の手触り、劉生自身による装釘が気に入り、時折書棚から取りだしては、眺め、触り、拾い読みを愉しんでいる。劉生の装釘はたいがい過剰感に溢れているのだが『美の本體』はほどほどで。

 

 

 

豊嶋康子作品集 1989−2022(2023)書肆九十九

 

図書館で見つけた『豊嶋康子作品集 1989−2022』は「豊嶋康子 発生法─天地左右の裏表(2023,12.9─2024,3.10)東京都現代美術館」大規模個展の開催に合わせて刊行された。「豊嶋の30年以上におよぶ作品制作を網羅し、カラー図版450点を豊嶋による作品解説とともに記録した作品集」とある。

 

豊嶋の理知的な作品群に似合ったとても美しい造本で、発行は「書肆九十九」とある。2021年にできたばかりの出版社らしく現時点での出版点数は多くない。代表者は小田原のどか。本作品集のデザインは小池俊起、編集は櫻井拓、小野冬黄さん。今後の出版に注目したい。

菊池幽芳:彼女の運命(1923-24)大阪毎日新聞

 

菊池幽芳の新聞小説『彼女の運命』の切抜きを再製本した。挿絵は絶頂期の鰭崎英朋が担当していて、この挿絵については以前にも紹介している。幽芳の回想によると異常なまでの好評で、すぐに4社が競作し映画化され1932年に再映画化された。すべてサイレント映画とのことである。

 

菊池幽芳:彼女の運命 新聞切抜き


 

鰭崎英朋の挿絵

 

明治中頃から流行りだした「家庭小説」に位置づけられるもので、昭和の「昼メロ」「よろめきドラマ」はその後裔といってよく、菊池幽芳はそのジャンルのスター作家でした。そして、その幽芳とコンビを組んだのが鰭崎英朋で、大正初期あたりまでは鏑木清方も幽芳の挿絵を描いている。

 

英朋と清方は日本画の結社「烏合会」の良きライバルでしたが、挿絵の仕事は多忙で清方は体を壊したこともあり、挿絵から本絵の世界へ転身する。一方、英朋は扶養家族が多く身動きがとれず挿絵の世界にとどまったことで忘れられていった。近年の再評価はめざましく嬉しく思う。

 

 

鰭崎英朋の挿絵

 

再評価のきっかけになったのは、弥生美術館による展覧会と、展覧会に合わせて松本品子編集『妖艶粋美:蘇る天才絵師・鰭崎英朋の世界』が出版されたこと。英朋の挿絵についてはわりあい早い時期から蒐集していたので、半端なコレクションも含めて自慢している。まぁ誰も感心してくれませんが(笑

 

コリン・デクスターによるモース主任警部シリーズ第13作最終巻『悔恨の日(1999)早川書房』その山田正紀のあとがきに、そもそもモース警部シリーズにあっては、結末の意外性にではなしに、倫理の華麗な展開にこそ重点がおかれてあって、かりに小説に終わりが不要というのであれば、その論理は永遠に転がって、ついにやむことがないはずなのだ。

 

多分、デクスターは自分の小説に結末は要らないと思っているのではないだろうか。このとりとめのなさは人生そのものに似ていて、結末はあるにはあるが、単に延々と繰り返されたエピソードにすぎない。したがって意外な結末が期待されるということもなければ、総じて平板な印象が残される。

 

コリン・デクスター:悔恨の日(1999)早川書房

 

モース警部の繊細にして不遜、天才にして無能、好色にして純情、博識にして無知、大酒飲みで、吝嗇で、孤独で。…多分、本国の読者は、モース警部に自分の姿を重ねあわせていたからこそ、このシリーズが終わることにあれほど(読者の抗議が激しく作者は会見を開かねばならなかった)反発した。

 

上記のように、山田正紀はモース主任警部シリーズの本質をよく伝えていて(勝手にダイジェストさせていただいた)このあとがき以外に付け加えるべきことがあまり見当たらない。ただ、ホームズやポアロよりも愛されたともいわれるモース主任警部シリーズのラストは、これ以外になかったのかなぁ…

 

 

 

モース主任警部最終巻に寄せて

 

沈黙は他人ひとの夢のなかを歩むごと疚しくもつむがれていく

 

 

でこぼこの道は終わりをまえに荷車は揺れ粉々に砕けてしまい